from 野村尚義

セミナーコンテスト(通称セミコン)という、セミナー講師の甲子園みたいなプロジェクトがあります。私のブログやメルマガでも時々出てくるので、以前から読んでくださっている方にはおなじみかもしれませんね。(「いや、知らない」という方はこちら

ずいぶん前から、コメンテーターとか審査員の立場で関わらせてもらっているのですが、今回はまったく役割なしで気楽な立場で見てきました。

今回見たのが、全国グランプリの敗者復活戦。選ばれし方たちではあるのですが一方で連戦連勝ではなく、負けを経験してリベンジを誓う人たち11名の最後の戦いです。まさにM-1の敗者復活枠を争うような、ヒリつく戦いの場に同席させてもらいました。

一言で感想を述べると「見事!」の一言。
正直、生半可な気持ちで私が出ても返り討ちにあってしまいそうです(苦笑)
いっぱいメモもとりました。

いっぱいメモもとりました^^

それでも、コンテストですからそこには優劣をつけなければなりません。そして、事実としてセミナーの品質レベルで優劣はついているわけです。

■初心者ステージを越えた先にあるもの

もちろん敗者復活枠に入る時点で、ある一定のラインは確実にクリアしている方ばかりです。セミナーとして満たすべきポイントがいくつかあって、それを余裕でクリアしていることは間違いありません。

ただ、ひとつの壁をクリアすると次のより大きな壁が待っているものです。バラモスを倒したら、次はゾーマを倒さないといけなくなるわけです。

最初に倒すべき中ボスについては、以前にこちらに書きました。
セミコン審査員をやってわかった、魅せるセミナーに共通する6つのチェックポイント

今回はその先にいる大ボスについて、今回気づいたことを書きたいと思います。

■脱テンプレセミナー

思いを込めて作ったことがわかるからこそ、改善のフィードバックは心苦しいのですが、次のステージに行くには必要なこと。そこは割り切って書きます。

感じたことのひとつが「テンプレート感が出てしまっているな」ということです。最初の自己紹介で語る資格を語って、本題の冒頭で今日のゴールを示す。そのあとノウハウを整理して、最後に心に刺さる話で終わる。

たしかに王道です。そして、私自身まさに上記のやり方を勧めてきました。
10分セミナーの王道テンプレート

世の中には守破離という概念があります。初学者のうちは、ガチガチにテンプレ通りにやるべきです。技能もないのに「オリジナリティーがどうたらこうたら」とか言うべきじゃない。

でもその時期を超えたら、守破離の”破”に入らなくてはない。

そして、破はテンプレを捨てることではなく、テンプレを自分の力でバージョンアップさせることです。

「え、バージョンアップってどういうこと?」その答えのひとつとして、次の話をします。

■セミナーのテンプレートの典型的内訳

さきほどセミナーにはテンプレがあると言いましたが、それが以下の図です。

10分セミナーの王道テンプレート

イントロの自己紹介で、ドラマティックに自分の人生を語る。次にボディで、ノウハウを語る。エンディングで自分の思いを語る。

この構造が大きく変わることはありません。私が今やってもこれに沿います。

ちなみに、そのように語る意図を説明すると、以下の通りです。

  • イントロとエンディングの意図は、聴衆の心を動かすこと
  • ボディの意図は、ひたすら学びを提供すること

そして、まったくガチガチにこの通りにしかやらないとどうなるか?こうなります。

心を動かす:イントロ&エンディング、学び:ボディ

■ガチガチテンプレ通りの問題点

こうなることには、実は2つの問題点があります。

問題点1:「感動させてやろう!」というスピーカーの意図を感じると、聴衆はそれに反発したくなる

ベッタベタな映画などを見て「あ、ここで泣かせにかかっているな」と感じることはありませんか。そこに製作者の意図が見えた瞬間に、映画の中身に集中できなくなってしまう。

セミナーでも同様で、スピーカーが自分目線で考える「感動させてやろう」という意図が見えると、興ざめしてします。

たとえスピーカーにとってそんな思いがなかったとしても、テンプレ感を感じると「当てはめるべき感動パートに、当てはめるべきものを盛り込んできたな」と聴衆は感じてしまうものです。

問題点2:単に語られるノウハウが、薄っぺらく聞こえるリスクを伴う

ボディの部分がイントロまでのアツさがパタンとなくなり、急にテクニックだけを語っているように聞こえてしまう。これはリスクです。

セミナー的に言うならば、イントロ・ボディ・エンディングがシームレスにつながって聞こえなくなってしまうということです。

■脱テンプレでバージョンアップしたセミナーをするための方向性

ではどうすればよいのか?
私はこの方向性をお勧めします。

あるべきかたち

ポイントは2つ。大体、想像つくと思いますが。

ポイント1:受け手の感情を動かすのは、学びのためでなくてはならない

受け手の心を動かす目的は、感動そのものではありません。心が開くことと、背景が伝わることで学びが入りやすくなるためであるべきです。

セミナーは本で言うならばビジネス書です。小説ならば感動させられれば目的は達成かもしれませんが、ビジネス書は学ばせなければ目的は達成されません。

また「学びのために、受け手の心を動かす」という意図だからこそ、聞き手は心理誘導だと感じずにそこに乗ることができます。

自分に質問してみてください。
「あなたの感動エピソードは、どういうメッセージを届け学ばせるためのものですか?」

ポイント2:ノウハウ部分にこそ厚みを持たせるために思いと背景を吹き込む

そもそも、まずは「自分がここで語ろうとしているノウハウは薄っぺらく聞こえないか?」そう自問することです。イントロやエンディングで自分を語ることに意識が向いてしまって、学びが薄くなるというのは本末転倒です。

専門性と独自性はあるか?
単なる心構えの話になっていないか?
誰でも言っている話になっていないか?
部分的アプローチになっていないか?

最低限、上記にYesと言えたうえで「なぜ自分はそれを重要だと感じるのか?」「その背景になにがあるのか?」を込めていくことです。

たとえば、10分セミナーのうちから、ノウハウを語っている1~2分だけを切り取られたとしても、その時間に影響力はあるのかと自己チェックしてみてください。

■セミナーが持つ無限の可能性を活かしきる

私自身、ずっとセミナーをやってきた人間だし、セミナーのやり方を教えてきた人間でもあります。だからこそ「セミナー」という形態には無限の可能性を感じています。

テンプレ通りでとどまることは、そのセミナーの価値のうち40-50%くらいしか発揮させられないというのが、私の感覚値です。

セミナーを志すみなさんには、せっかくと思いとノウハウを持っているからこそ、それを十分に伝えられるレベルにもっと磨きをかけてほしいと思います。そして、先日のセミナーを見せてくださった方々にはそれが可能だと信じています。

みんな、がんばれ!!

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