from 野村尚義

情報提供ということばがあるけれど、ぼくはこれをプレゼンだとは捉えていない。情報提供で聴き手が変わることは少ないからだ。

誰だってそうだけれど、そのときどきで本人にとっての最善の行動を選択している。サボることですら、その瞬間の本人にとってはサボることが最善だという判断をしているからサボるわけだ(このあたり言葉足らずなのはわかっているけれど詳細は省きます)。

だから誰かに新しい行動を促そうと思ったら「どういう前提で最善の行動を選択するのか?」という選択プロセス自体に影響を与えないといけない。

選択プロセスを変えるとは、その人の“常識”という判断軸を書き換えること。「こういう場合、Aをするのが普通」という常識を「こういう場合、Bをするのが普通なんだ」と書きかえる。

この“聴き手の常識の書き換え”をすることがプレゼンテーションだとぼくは思う。

ヒトラー、キング牧師、オバマ元大統領などなど、カリスマのプレゼンを分析していて思うのは、彼らは情報提供しようなんて思っていない。情報提供はオマケだ。彼らのスピーチには「聴き手の常識を書き換えよう」という意図を感じる。彼らのスピーチ原稿にはその具体的な施策が数多く組み込まれている。

プレゼンテーションコンサルタントという仕事をしていて、ぼくはクライアントがおこなうプレゼンがどのようにして見込み顧客の心を「最適な選択をする状態」にエスコートできるかを考えている。そのときに見込み顧客に”望ましくない常識”があったらそれを書き換える手段をアドバイスする。

あなたがセミナーで話すときに、あなたの目の前の見込み顧客にはどんな”望ましくない常識”を持っていますか?

先送りグセ?
枠から出ようとしないこと?
自信のない自分に閉じこもること?

その言い訳をなくしてあげるようなプレゼンができたとしたら、そしてその先にある結果や成長を約束してあげられたら、それは売り込みだなんて誰も捉えないんじゃないだろうか。誇りをもってセールスできるんじゃないだろうか。

プレゼンとは強引な説得ではない。無機質な情報提供でもない。
相手の幸せを信じて、不要な常識を書き換えることだ。

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